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2010-01-27(Wed)
ロウバイの花が咲いていた
2009-07-26(Sun)
もんじゃもんじゃ

」
K市というところは不思議なところである。
国土地理院発行の25000分の1の地図で見るとよくわかるが、
Kの街は高低差が百メートルくらいもある。
それは、Kの街全体を武蔵・K崖線という、一本の断層が貫いているからである。
断層というと、ふつう地震などを起こす地下深くにあるプレートのズレを
イメージするが、ここでいうものは地表に露わになっていて、
誰もが目で見ることのできる断層である。
それは肉眼で見ると、いわゆる崖である。この崖はこの辺り一体では
ふるくから”はけ”と呼ばれ、”はけ”から出る湧水は長く地域の人々に
親しまれてきた。
乗っていると気づかないが、中央線は武蔵境あたりから、この武蔵・K崖線の
崖の上を走っているのである。
それが証拠に、K駅の南口を出て、駅と一体化したショッピングセンターを
背にしてどこかへ行こうとすると、左へ行っても右に行っても坂を下ることになる。
その坂が”はけ”というわけである。
さて、駅前の喧騒をあとにこの坂を左へ下り、
坂の途中でこんもりと茂った庭園の鉄柵を右手に見て、
細い路地を右へ折れると、そこからこの崖の下の街は不思議の宝庫となる。
路地をしばらく進むと、車がやっとすれ違えるくらいの道に突き当たる。
それを右へ折れ、しばらく進むと左側に石垣が見える。その石垣を左へ入っていくと、
武蔵国文寺跡というものがある。
この寺は8世紀に聖武天皇が国家の安泰を願って全国に建てさせた
「国分寺」のうちのひとつで、いまの関東一円は昔は武蔵の国と呼ばれていた。
その武蔵の国の鎮護を担っていたのが武蔵国分寺であり、
この寺はいまのK市一帯を中心に、関東一円に広大な荘園、
寄進領を持つ一大権力であった。
その名残が、この「国分寺」跡には感じられる。
とはいえ、あるのは広大な原っぱに、往時の面影を偲ぶよしもない
六基の石柱の基礎部分と「武蔵国分寺」の碑のみである。
何もないに等しい。だが、間違いなくそこには何かがある。
朝早くに、または夕方に、その国分寺跡の原っぱに行くと、
何もないのに気持ちが妙に落ち着くのである。
何かに悩んだり、やる気がないときにそこに行き、原っぱの上に
ただたたずんでいるだけで、自然に打ち解けるものがある。
周りを見渡すと、休日にはだだっ広い何もない”跡地”に数台の車が
路上駐車され、朝から晩まで寝ている人もいれば、
原っぱの上で体操をするおじいさんもいれば、
タバコを片手に何時間も佇む女性もある。
みな、特に何かをしているわけではないが、
そこに来る人々はみな同じ気持ちなのだろうと思う。
先日のある晴天の日など、原っぱの石柱跡に立っている大きな欅の木陰に、
結婚式後とおぼしき一族全員が何をするともなく、何を話すともなく、そこに集っていた。
きょうも行ってきたが、誰もいなく、ただ風だけが吹いていた。遠くに鳴く蝉の声だけが
もんもんとこだましている。
日曜にはなぜか人がいない原っぱ。
不思議な場所である。
2009-07-11(Sat)
くさびら譚

「ね、萩野君。実にかわいいな。ベニヤマタケじゃ。この透き通った赤の感じ、えもいわれぬ」
「はあ・・・ほんとうに」
私は仕方なしに調子を合わせた。その時、奇妙なことが起こった。
先生の視線をたどっていった先に私はたしかに見たのである。―ガラスのように透明な赤いベニヤマタケを。しかも一本ではなく、青々とした笹の葉の下にびっしりと身を寄せ群生している様を。
そんなバカなことが。私は目をしばたいた。が、幻影はいっかな消えようとしない。そればかりか、緑と赤にますます光輝を増して美しく鮮明になてくるのだった。
「アケボノタケじゃ。かわいい。じつにかわいい」
先生の声がした、それはずっと高いところから響いてくる朗らかな声であった。目の前に二羽の蝶が飛び交っている。それが先生の手であることは私も知っている。が、そんな知識はどうしたことか全く無力であった。それは白い小さな蝶であり、私の目は先生の姿を見ることもできないのであった。
と、蝶が消え、朗らかな声が降りてきた。
「アケボノタケじゃ。ピンクのかわいいヤツじゃ」
私は見た―竹林の下草の中に紫からピンクへと変幻自在な色でふるえている、生まれてはじめて晴れ着をきた女の子のようなキノコを。それは美しく、私は幸福だった。そう、幸福だと私が思ったとたん、すべての幻影は容易に成就するようになった。私はもはや先生の手の動きを追う必要もなく、ただ先生の朗らかな声を聞くだけですべてを見たのである。
キヌオオフクロタケの大きな笠は黄色の絹糸で編まれている。木漏れ日を受けてキラキラ輝くたびにチンチラチンチラと鈴のような音がした。
先生がチンチラチンチラと唄った。するとキノコが小声で復唱した。
キヌオオフクロタケの金色の傘を中心に、極彩色、淡彩、原色、中間色、紫、赤、茶、黒、黄。
まことに千般各様の大小のキノコが並んだ。その数、無慮五千種。
「もっとあるぞ」と先生が言った。
「六千種、ことによったら七千種じゃ。わが日本は世界一のキノコ大国じゃ。野に山にポコポコ生えとる」
すると新しいキノコがポコポコと誕生の音高く現れた。
ポコポコ ポコポコ
ポコポコ ポコポコ
唄いながら飛びながら踊りながら、先生と私は広大なお伽の国を巡回した。山を林を行けを河を草原を訪れた。そうして快い疲労を身内に覚えながら先生の書斎へと戻ってきた。
茶碗も皿も、それから料理も、すべてキノコ、キノコ。
「どうだね。くわんかね」
と先生が言った。
「はあ、いただきます」
私はアマタケの饅頭を食べ、ベニチャワンダケで緑茶を飲んだ。依然として先生の姿は見えない。しかし、相手の表情や気持ちは瞬時に伝播してくる。
「人間のやることでマジメなことは何でしょうか」と私は尋ねた。
「眠ること、喰うこと、排泄すること、性交すること」
「キノコを愛することは」
「前の四つより劣るが、まあマジメなことじゃ」
「その他のことは」
「おおむねコッケイじゃ」
「中でも一番コッケイなことは」
「教授であること」
「ははあ、うまく話の辻褄を合わせましたね」
「こんどはぼくがききたい。どうだな。キチガイになることはまじめなことかな」
「もちろんです。狂人は正常人のように自分をごまかしませんからね」
「自殺することは」
「マジメです。自分で死ぬ人は本気です。冗談では死ねません」
「ところで、どうだ。ぼくは気違いかな」
「はい、一種のキチガイです」
「つまりマジメな人間ということじゃな」
「まあ、そうです」
「それなら問題は解決じゃ。きみ、ぼくをきみの病院に入院させてくれんか」
加賀乙彦 『くさびら譚』より
2009-06-30(Tue)






